もともと人類は有史以前から獲物を求めて移動を繰り返し野営を行なっていたと考えられているが、ローマ軍の遠征からテントが用いられるようになり、アメリカでは18世紀にイギリスからの入植に伴って大型の幌馬車が活用され始め、19世紀になると開拓や行軍以外にも教育の一環として学童サマーキャンプが行われるようになる。
エアストリームの創業者であるワーリー・バイアムは1896年に生まれ、幼少期は叔父の牧羊を手伝って野営用にストーブや水など生活必需品を積み込んだロバ牽きの木製ワゴンで羊を追っていた。
その後は名門スタンフォード大学を卒業して報道や広告、出版業に従事するも牧羊生活の楽しさは忘れず、休日になると妻を連れて定期的にキャンプを楽しんだ。
しかし妻はワーリーほどキャンプを楽しめず、特にテントで地べたに寝ることに馴染めなかった。
そこでワーリーは1929年にフォード・モデルTのシャシーにテントを据えけ、自身のトラックでトーイングするようにしたものの雨漏りや設営/撤収の手間など具合はあまり良いとはいえず、結局テントはティアドロップ型の恒久的なハードシェルに置き換えられ、ついでにストーブやアイスボックスが装備された。
エアストリームの父、ワーリー・バイアム。1896年、オレゴン州ベイカーシティで生まれる。幼少期に両親が離婚し、農場を経営する叔父に育てられ、少年時代はロバが引く幌馬車に住んでいたという。
エアストリームの原型となるティアドロップ形トレーラー。1931年、カリフォルニア州カルバーシティに開設されたLA工場でバイアムが最初に作り上げた「トーピード」。その後、30年代半ばまで「シルバークラウド」や「ランドヨット」と呼ばれるモデルをリリースする。
第1号モデルの礎となった1台。バイアムが1936年にエアストリーム社からリリースした第1号モデル「クリッパー」誕生のきっかけとなった、ハウリー・ボウラスが設計した「ボウラス・ロードチーフ」。
この最初のトラベルトレーラーは行く先々で他のトラベラーやキャンパーの熱視線を受け、「これは良い商売になる」と彼は意を決する。
当初、バイアムは他の人も自分で組み立てられるようにDIYガイドを『ポピュラー・メカニックス』誌上で公開したが、すぐに庭先に停めていたバイアムのトラベルトレーラーと同じものを製作するよう近隣の住人に依頼されるようになり、自宅では騒音の問題もあって1931年に専用ファクトリーを開設、これがエアスリームの礎となった。
最初のモデルはエアストリーム・トーピード・カークルーザーと名付けられ、プロダクションモデルとしてフロアが下げられて直立できるほどのベッドルームと、洗面台やストブにアイスボックスを備えたテーブルを設置可能にする広いキャビンが与えられている。
シェルはティアドロップ型を基本として合板や硬質繊維板で組まれ、外装は時に模造革やリベット留めの金属でカバーされた。この先進的なデザインのトーピードの販売は好調で、その勢いでバイアムとエアストリームは世界恐慌さえも乗り越える。
1952年に、現在もエアストリームの本拠地があるオハイオ州ジャクソンセンターに新工場が建造されるまでは、バイアムが創設したLA工場でエアストリームは製造されていた(1978年にLA工場は閉鎖)。
1936年、エアストリーム・トレイラー社を設立したバイアムはボウラス・ロードチーフに改良を加え、初の大西洋横断路線に就航していたパンナム機にちなんで命名した第1号モデル「クリッパー」を製造・販売する。
その頃、バイアムが並行して販売代理店を行なっていたもうひとつの画期的なトラベルトレーラー、「ボウラス」は異なっていた。ハウリー・ボウラスはリンドバーグが大西洋横断単独無着陸飛行を行った航空機、スピリット・オブ・セントルイスの主任設計者/製造責任者で、同じく自身が設計/製造を行った流線型の贅沢なトラベルトレーラー、ボウラス・ロードチーフを販売していた。
こちらは最先端の航空技術に基づきアルミニウムもしくはジュラルミンを用いたモノコック構造を持ち、軽量で剛性が高く耐久性や省燃費に優れていたものの、非常に高価であったことから販売が振るわず倒産の憂き目にあってしまう。
そんなボウラスを引き継ぎエアストリーム・トレイラー社を設立したバイアムは、フロントにあったドアを使い勝手を考慮してサイドに移すなど改良を加えて1936年にクリッパーと名付けて販売、こちらは成功を収めた。
ほぼ同じモデルであるにも関わらずボウラスが失敗しエアストリームが成功した背景には、オリジナルデザイン通りにしか製作しなかったボウラスに対し、エアストリームはユーザーの求めに応じてフロアプランを細かく変更して製作したためと言われている。
やがて第二次大戦が勃発し、バイアムはエアストリームの生産を休止してロッキードに勤めることになるが、終戦間近になって同じく航空機メーカーのカーティス・ライトに請われて同社ブランドでクリッパーを製作する。
当時はアルミニウムなど戦略物資は軍事産業にしか供給されなかったためエアストリームの再興にはまだ早く、カーティス・ライトには資金も資材も製作技術もあってポスト・ウォー事業を求めており、両者の利害が合致したからだ。しかし支払い面で対立し、結局バイアムはエアストリームを再開して1947年にライナーというニューモデルをリリースした。
1960年代に入るとエアストリーム社は米軍に協力し、宇宙から帰還した宇宙飛行士が未知の病原体を持ち帰っていないかを確認するための隔離施設や特殊移動病院などのユニットを製作した。上の写真は1969年、アポロ11号が帰還した時の隔離施設ユニット。JFKやニクソンの姿も!
エアストリームの名を世界に知らしめたのが、バイアムがエアストリームオーナーを募って結成したキャラバン隊。第1回目のキャラバンは1951年12月〜52年3月に行われ、メキシコ〜グアテマラ.ホンジュラスなど中米を巡り大成功を収めた。その後も世界各地へのキャラバンが頻繁に行われ、ワーリー・バイアム・キャラバン・クラブ・インターナショナルのメンバーは世界各国に総勢1万7000人ほどを数える。
戦後のエアストリームはヨーロッパでロードテストを行ない開発や改良に努めつつ、トラベルトレーラーのあるライフスタイルを積極的に提唱してアウトドアレジャーブームをけん引した。
1950年代にはオーナーを募り、キャラバンを組んで中央アメリカやヨーロッパ、果てはアフリカまで遠征している。
また1970年代からはトラベルトレーラーを核としてクラスAやクラスB、クラスCモーターホームの製作も行われ、現在もクラスB、クラスCモーターホームをラインナップしている。
1930年代には400ものトラベルトレーラー・メーカーが凌ぎを削っていたが、それらの中で現存するのはエアストリームのみ。その事実が、エアストリームの比類なき価値を物語っている。
創業以来、キャンピングトレーラーのみを製造・販売していたエアストリームだが、1974年に同社初のクラスA・モーターホーム「アーゴシー」をリリースする。80年代に入るとそれをベースに霊柩車「フェネラル・コーチ」を製作した。
90年代以降、サファリやバンビといった過去の名モデルが続々と復刻され、エアストリーマーたちを喜ばせた。
外装のデザインはキープコンセプトが貫かれているが、ほぼ“家”同様の近代的で利便性に優れた内装が評判となり、大ヒットを記録した。
エアストリームジャパンが現在ラインナップするのは「バンビ」「キャラベル」「フライングクラウド」「インターナショナル」「グローブトロッター」「クラシック」「ベースキャンプ」「EU」の8モデル。
同社が2021年以降主力商品としてプッシュするのは、日本におけるナンバー取得モデルの中において最大サイズかつ豊富なモデルラインナップ(フライングクラウド、インターナショナル、グローブトロッター)を誇る「23フィート」。
その中でも最上位グレードとなる内装デザインを有し、唯一のツインベッド展開のグローブトロッターの23フィートモデルが現時点でのフラッグシップモデルとなる。
2021 Bambi 16RB
2021 Caravel 20FB
2021 Globetrotter 23FB
ホワイトボディの希少モデル。中価格層商品の開発を目的に1974年に作られたアーゴシ.・ブランドにはクラスA・モーターホームだけでなく、ホワイトにペイントされたキャンピングトレーラー(20ft/24ft)も存在した。
19,404円
PERFORMANCE
6DEGREES
19,998円
PERFORMANCE
6DEGREES
3,480円
MAINTENANCE
GDファクトリー千葉店
48,070円
EXTERIOR
6DEGREES