更新日:2016.05.30
文/編集部 写真/フォードモーター
キャロルシェルビーは、1923年1月11日テキサス州シースバーグ市で生まれた。第二次世界大戦時にアメリカ陸軍のテストパイロットと教官を勤めた後、戦後は養鶏所経営に専念していたが、50年代にレーシングドライバーとしてデビュー。
フェラーリやマセラッティを駆り3度の全米スポーツカーチャンピオンを獲得し、59年にはアストンマーチンでル・マン24時間レースに優勝するなど(F1にまで参戦)、数々の栄光をその手中に収め、一躍レース界のヒーローになったのである。
だが翌60年、幼少時から抱えていた心臓病のためにレーサーを引退すると、スポーツカー・マニュファクチャラーへと転身。シェルビー氏の活躍はその後さらに加速する。
シェルビー氏が最初に手がけたのがコブラである。ライトウェイトスポーツカーに高出力エンジンを搭載するパッケージングにトライし、英国AC社の2シーター・オープン「エース」にフォードV8エンジンを搭載した名車「ACコブラ」を、62年のニューヨーク・オートショーでデビューさせたのである。先のエントリ-で紹介したように、レプリカが誕生するほどの人気ぶり。
シェルビー氏は、64年に発売されたマスタングのチューニングにもかかわっていき、フォードとの関係を深めていく。一方で、ロサンゼルスにシェルビー・アメリカン社を興し「シェルビー・コブラ」の市販化を開始するとともに、翌年にはボブ・ボンデュラント、ダン・ガーニー、ケン・マイルスといった一流ドライバーと共にレーシング・チームを結成する。
クルマとスピードが好きだったが、家業の養鶏業が忙しく、仕事後にレースに出掛けなければならなかった。仕事着の青白ストライプのオーバーオールを着たままサーキットに行き、勝利したという逸話あり。
コブラベースのレーシングマシンを擁してヨーロッパのレース界に進出すると、フェラーリ、ポルシェ、ジャガーを抑え、65年にはGT世界選手権を制覇。翌66年にはル・マン必勝マシンとして開発されたフォードGT40で優勝し、さらに67年に連覇を達成するなど、一躍60年代のフォード・レーシングの立役者となったのである。
ここに至るまでに、フォードとの関係性を深ていったシェルビー氏は、打倒フェラーリを掲げ見事失敗したフォードの頼みの綱として、65年にフォードのレースにおけるマシン製造とレース自体を請け負うことになる。で、66年見事フェラーリを破りルマン優勝を果たすのである。
こういったフォードとの蜜月から40年の2006年、6代目マスタングベースのシェルビーGT500の名が復活する。キャロルシェルビーは当時すでに84歳になっていたが、GT500のメカニズムやスタイルには彼の意見が反映されたという。
ビッグブロックV8を搭載した「427コブラ」やフォード・マスタングをベースにした「シェルビーGT500」といったアメリカスポーツカー史上に残る名車達を世に送り出したキャロルシェルビー。現在でも最新マスタングの最強モデルとしてシェルビーGT350の名を冠したモデルがリリースされるなど、アメリカンスポーツカー、いやフォード車を語るにあたり、欠かすことのできないビッグネーミングなのである。
06年に登場したシェルビーGT500にはメカニズムやスタイルにおいて彼の意見が反映されたという。キャロルシェルビーは当時すでに84歳になっていた。
TEST RIDE
BUBU / ミツオカ
19,404円
PERFORMANCE
6DEGREES
19,998円
PERFORMANCE
6DEGREES
3,480円
MAINTENANCE
GDファクトリー千葉店
48,070円
EXTERIOR
6DEGREES