ノーマルで乗っても味がある、手を加える素材としても楽しい、そしてアナログ時代の最後の年代。これぞまさしく90年代アメ車の魅力である。最新のアメ車たちはテクノロジーの塊。技術の進化だから仕方はないが、面白みに欠けることも多々ある。具体的には速すぎる。それに、手を加える余地もあまりない。
デザイン的にも、平たく言えばどれも似たようなもので個性薄。インターナショナルな味といえばそれまでだが、ドメスティック時代にあったデザインが懐かしい。とはいえ、じゃあ、90年代のアメ車はいまだに走れる乗れるのか?
「確かに新車のようにはいかないでしょう。中古車を買えば初期化する必要もあるでしょうし、その部分で金銭的な負担がかかることも確実にありますね」
だが、その年代のアメ車にはアフターパーツがごまんとあり、構造がシンプルであるからこそ治療的効果は出やすく、さらに個性的なデザインのクルマが多かったからこそ「アメ車に乗っている」という実感が確実に得られるのである。
走ってもクルマ任せの電子制御的なスピード感ではなく、実際にドライバーが関与する余地が残されているし、一番重要なのは、日本の道路の速度域内で楽しくかつ興奮できること。
たしかに「エコだ、低燃費だ」といったイマドキの言葉とは無縁な時代の産物だが、この90年代を楽しまなければ、手頃なプライスで楽しめるアメ車の歴史は閉ざされてしまう(今や現代の新車は軒並み500万円以上が当たり前の世の中だ)。
だから今、そういった90年代のアメ車に乗られている方は、決して手放さない方がいい。
「愛車がヤレてきた→飽きてきた→手をかけない→壊れてきた→冷めてきた→手放そうか…」。通称、負の連鎖。悪の連鎖とも言うが、こんな時こそ一念発起して何とか手をかけてやりたい。
たとえば上記のダッジバン。以前紹介した白いダッジバンオーナーと友人というAさんは、白いダッジバンオーナーさんと時を同じくして黒いダッジバンを手に入れた。
だが、状態は決して良くない。やはり購入後に、実際に走らせてみて初めてクルマの調子というのはわかるもので、所有してからいろいろなトラブルや消耗品交換がやってきた。同時にちょっとずつ手放そうかとの思いが出てきた(あきらめかけてきた)のも事実である。
ちょうどそんな時に、「まずはボディだけでもキレイにしてみなよ」とのアドバイス。
実際に実行してみると、出来上がりを見て気持ちが激変。その後友人の白いダッジバンと白黒のコンビを結成(笑)。互いに競い合いながら車両の状態を上げていき、ところどころで同じカスタマイズを施し、そんな感じで接しているうちに、どんどん見違えるような状態へと進化していった。
自作DIYでヘッドライトをアレンジしたり、ワンオフマフラーを入れ、足回りの消耗品を換えショックと車高を調整し、走りも見違えるように良くなった。
「90年代のアメ車とえいば、すでに20年くらい前の車両ですから、入手後のアフターケア、もしくは購入時の初期化は必要不可欠ですし、その部分はもはや当然と考えていただいた方がいいですね。ですがそこを越えれば、現代のアメ車を遥かに越える、らしいスタイルや楽しさがあるのは事実ですし、何より公道レベルで十分に満足できるというのが最大の特徴です」
もちろん、最新のチャレンジャーやデュランゴも相当に楽しい。でもなぜか、この1997年型ダッジバンに乗っても面白いと本気で思える。しかも街中を法定速度で走っていても熱くなれるのは、ワンオフマフラーによるものもあるだろうが、それ以外にも、すべてにおいてダイレクトな感じが嬉しいのである。音、振動、反応…etc。
人はこれらに対し「レベルが低いんだよ」というかもしれない。たしかにそうだろう。上記の例にあげた最新のチャレンジャーは、公道レベルの速度域が低すぎて、性能の10%も出せていないのだろう。だからそれをもって90年代のアメ車が勝っているのは間違っているという意見は正しい。
だが、そういったすべての状況を加味しつつ、「それでも90年代のアメ車が欲しい」というのであれば、「是非に」と答えたい。乗れば、普通の速度域で楽しめる気楽さに驚くはずだし、迫力ある造形にも所有する喜びを感じるはずである。何よりバンであるにもかかわらず、バンらしからぬアグレッシブさに感動すること間違いないのである。
人それぞれ、重きを置く部分は違うはずである。なのでもし「速さやスピード」が重要ではないというのであれば、90年代のアメ車を一考してみるのも面白いと思う。
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