すでに約31年前のアメ車となる
アストロと言えばだれもが知っている代表的なアメ車だが、その生産が開始されたのは意外と古く、今から31年前の1985年に遡る。
この頃は1983年に発売されたクライスラー製のFF駆動のミニバン・ボイジャーが人気を博していたが、GMが発表したミニバンは、ボイジャーとは根本的に異なる、フルサイズバンをひと回りコンパクトにしたFR駆動のミニバンだった。
クライスラーは初代ボイジャーを新世代のファミリーカーとして開発し、乗用車用のシャシーをベースに製作していたが、アストロはフルサイズバンと同じように、ピックアップトラックのシャシーをベースに製作されたのである。ちなみにクライスラー、GMを追いかけたフォードも、当初のモデルはトラックベースのシャシーを採用していたのである。
結果的に(歴史的事実を見れば分かるが)、一大ブームを築いたのはアストロだったが、息の長いモデルはボイジャーであり、ミニバンとしては「どっちもアリだった」ということになるのだろう。
1985年、アストロは後輪駆動のミニバンとしてデビューした。当時直4エンジンとV6エンジンという2種類のエンジンラインナップを持ち、またカーゴバンとパッセンジャーバンという2種類の車体グレードを持ち合わせていたのである。
直4エンジンとカーゴバンという組み合わせは主に商用的な使われ方をしていたため、日本市場で見る事はほとんどなかったが、主力のV6は圧倒的だった。その当時の国産バンが軒並み70psを切る中でアストロに搭載されていたいV6は倍以上の150hpというパワーを誇ったのである。すなわち、当時(まだ見ぬミニバンブーム)の中では最高にパワフルな1台だったわけである。
ちなみに、いわゆる旧マスクと言われるこの初期の年代では、コードZといわれるV6の他にコードBとコードWというV6まで存在していた。これらは、単なるコードネームだけではなく、同じV6でも製造期間の違いによるチューンの中身が異なっており、馬力数値も異なった。旧マスクの中では92年から登場するコードWと言われるV6が200hpを誇る最強エンジンだったのである。
さらに余談だが、主力機はコードWであり、このWエンジンは95年からボルテックエンジンに進化し、その後のモデルにも継続搭載されたのである。
この頃は1983年に発売されたクライスラー製のFF駆動のミニバン・ボイジャーが人気を博していたが、GMが発表したミニバンは、ボイジャーとは根本的に異なる、フルサイズバンをひと回りコンパクトにしたFR駆動のミニバンだった。
クライスラーは初代ボイジャーを新世代のファミリーカーとして開発し、乗用車用のシャシーをベースに製作していたが、アストロはフルサイズバンと同じように、ピックアップトラックのシャシーをベースに製作されたのである。ちなみにクライスラー、GMを追いかけたフォードも、当初のモデルはトラックベースのシャシーを採用していたのである。
結果的に(歴史的事実を見れば分かるが)、一大ブームを築いたのはアストロだったが、息の長いモデルはボイジャーであり、ミニバンとしては「どっちもアリだった」ということになるのだろう。
1985年、アストロは後輪駆動のミニバンとしてデビューした。当時直4エンジンとV6エンジンという2種類のエンジンラインナップを持ち、またカーゴバンとパッセンジャーバンという2種類の車体グレードを持ち合わせていたのである。
直4エンジンとカーゴバンという組み合わせは主に商用的な使われ方をしていたため、日本市場で見る事はほとんどなかったが、主力のV6は圧倒的だった。その当時の国産バンが軒並み70psを切る中でアストロに搭載されていたいV6は倍以上の150hpというパワーを誇ったのである。すなわち、当時(まだ見ぬミニバンブーム)の中では最高にパワフルな1台だったわけである。
ちなみに、いわゆる旧マスクと言われるこの初期の年代では、コードZといわれるV6の他にコードBとコードWというV6まで存在していた。これらは、単なるコードネームだけではなく、同じV6でも製造期間の違いによるチューンの中身が異なっており、馬力数値も異なった。旧マスクの中では92年から登場するコードWと言われるV6が200hpを誇る最強エンジンだったのである。
さらに余談だが、主力機はコードWであり、このWエンジンは95年からボルテックエンジンに進化し、その後のモデルにも継続搭載されたのである。