1953年に誕生したアメリカ唯一の量産型スポーツカー、コルベット。第1世代のコルベットC1は、最終モデルとなった62年型の時点で生産台数は1万4531台にまで達し、好調に生産台数を伸ばしていた。
コルベットの人気を支えたひとつの要因として、サーキットでの活躍が挙げられる。もともとコルベットはイギリス車などの外国製スポーツカーに対抗するため誕生したモデルであり、エンジニアのゾーラ・アーカス・ダントフが開発に加わってからは、コルベットはモータースポーツシーンに積極的に登場するようになった。ダントフの考える理想のスポーツカーとは、「平日は生活の足として使い、休日にはサーキットで走ることのできるクルマ」だった。学生時代からレースに熱中していたという彼がコルベットに施した改良は、まさにそうしたことを実現するためのものだったのである。その後、レース専用モデルとしてコルベットSSやスティングレイ・レーサーといったレーシングスペシャルが誕生し、SCCAなどのレースで成績を残していった。そして、第2世代となるコルベットC2は、このスティングレイ・レーサーをベースにして開発されたのである。
コルベットC2のデビューは1962年のパリ・サロン。最初の発表がアメリカ本国以外の場所であったのは、ライバルの欧州系スポーツカーに真っ向勝負を挑むだけの自信があったのだろう。名前も直接のルーツとなったスティングレイ・レーサーにちなんで、「コルベット・スティングレイ」と名付けられていた。ちなみにこの「スティングレイ」の名付け親は、ハーリー・アールからGMのスタイリング部門のチーフを受け継いだビル・ミッチェルが付けたものだ。
コルベットC2の最大の特徴は、何といってもそのフォルム。スティングレイ・レーサー譲りの斬新なデザインは、ファストバック・クーペとコンバーチブルの2種類のデザインが開発されたが、とくにスポーツ・クーペはリアウインドーが左右に分割された、後に「スプリット・ウインドー」と呼ばれる大胆なデザインが採用され、話題となった。しかしながらこのデザインは、後方の視認性が悪いということで63年型のみで事実上1年しか生産されずに終わってしまう。
ヘッドランプは、当初露出式のものが考えられていたが、ボディとの兼ね合いがうまくいかず、結果として格納式のリトラクタブルライトが採用された。ただし、通常のタイプとは異なり、ユニット全体が180度回転する変わった仕組みになっている。
メカニズムに関しても、リアサスペンションに独立懸架方式が導入され、スプリングには横置きのリーフスプリングを用いるという独創的な構造となっている。フロントサスペンションも、トーションバーからコイル式に変更となった。
全体としては、旧型のコルベットC1よりもサイズ、重さともにシェイプアップされ、非常に引き締まった外見上の特徴を持っている。しかも、オプション装備も豊富になり、エアコン、パワステ、パワーブレーキ、本革シートなど、ダントフが理想とした日常の足として使える快適装備が充実されていたのである。
何もかも一新されたかのように見えるコルベットC2だが、エンジンユニットだけは旧型と同じものが使われていた。それが大きく変わったのは65年型のビッグブロック・V8が登場してからだ。排気量は396ciで、その前年にカーターからホーリーに変わったキャブレターと組み合わせることで初めて400HPオーバーを達成したのである。さらに66年型では427ciにまでアップされ、それまであったスモールブロックの3種類のベースモデルすらホーリー・キャブを備えた300HPと350HPにパワーアップされている。
翌年の67年型でコルベットC2は最終モデルを迎えるが、マッスル化の波は以降のコルベットC3にも引き継がれていくのである。
ちなみに、コルベットC2のボディはボブ・マクリーンの主導のもと開発された。しかし、開発は計画通りにいったわけではなく、とくにスタイリング決定にはさまざまな試行錯誤を繰り返していた。開発当初、スポーツセダン化の案やミッドシップレイアウトにするという案もあったのだが、結局はファストバック・クーペとコンバーチブルという2つのデザインで進められていった。さらにその開発途上でもホイールベースを延長した2+2クーペの追加も考えられていたが、これも破棄される。紆余曲折としたボディ開発ではあったが、スタイリング決定に際しては風洞実験も活用されていたという。これはアメ車としては初めての試みだった。
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