日曜日、朝7時の海老名サービスエリアはすでに、家族連れのミニバンや観光バスで埋め尽くされようとしている。
今日、私はひとりだった。もう数週間ほども、仕事ばかりに没頭する日々が続いていた。そろそろ限界だと、心が悲鳴をあげていたのかもしれない。真っ黒に見えたスケジュール帳の中で、ここだけが白く浮かびあがり、私にチャンスをくれたのだった。連れ出したのは、マスタングV8GTコンバーチブル・プレミアム。我ながらグッドチョイスだったと、早くも心が躍っている。大きく開いたドアを閉めると、ゴールドのボディに朝陽がキラリと弾けていた。さぁ、私のドライブには定番の温かいカフェモカを手に入れたら、束の間のバカンスがはじまる。
仕事で走り慣れた東名高速だけど、耳に届く音がちがうだけで、肌に伝わる振動がちがうだけで、こんなにも別世界になるものだろうか。近頃は偽善的な理屈と引き換えに、心奮わす音を失ったクルマが多い中で、この4.6リッターV8が奏でるサウンドはジンと深く染みる。力強いだけでなく、どこか優しさを含んだ音色が、ガチガチに凝った心をときほぐしてくれるようだ。私はあえて何も考えず、ただただマスタングに身をあずけ、西へ西へと風をきった。
目的地はとくに決めていなかった。でも、そんなにガッツリとトリップメーターを延ばすつもりもなかった。そして、高速道路はそこそこに、一般道にを降りてからルーフを開けたいと思うのが、ささやかな女心。そろそろいい頃合いかな、というところにあるのが、浜名湖だ。よし、今日は心を癒すついでに、スタミナチャージもしてしまおう。そうヒラメイた私は、三ヶ日ICの出口でウインカーを光らせた。
料金所を過ぎると、ちょっと先にすぐ大きなお土産屋さんがある。その駐車場にお邪魔して、まずはルーフ開閉スイッチに手を伸ばす。指先を動かすと、あっけないくらい一瞬で、私の身体は日差しを浴びた。そのままゆっくりとマスタングを走らせ、信号をひとつ曲がって、浜名湖を反時計まわりになぞりながら進む。松林の隙間から、キラキラとまぶしく輝く湖面が、私を歓迎してくれていた。
そのまましばらくは、湖畔をめぐる50㎞/h制限の道。ふだんは鬱陶しく感じるこのスピードも、今日はなんだかしっくりくる。こんなにのんびりと流すなんて、いったいいつ以来だろうか。両手に伝わる、ステアリングのガッシリとした安心感。その先に、19インチのタイヤがしっかりと地面を捉えているという、存在感。前髪を揺らし、頬をなでてゆく優しい風。沿道の民家から、TVの音が聴こえてくるのはコンバーチブルのご愛嬌だ。鳥の鳴き声も、すれ違うトラックの排気ガスも、そのどれもが、眠っていた私の五感を少しずつ、目覚めさせてくれる気がする。
ふと、右手にパームツリーが並ぶリゾートホテルが見えてきた。急ぐ旅じゃないし、ちょうど喉の渇きを感じていたところ。私は「浜名湖レークサイドプラザ」の文字を確認し、マスタングを滑り込ませてしばしの休息をあげることにする。
本館らしき建物に入ってみると、中のカフェにも大きなパームツリーが何本も立っていて、ちょっとエキゾチックな雰囲気。フレッシュなマンゴージュースが、甘酸っぱい気分を運んでくる。敷地内にはチャペルやプライベートビーチ風のプール、カラオケバーやレストランが並んでいた。私は高い空に導かれるように、ビーチの方へと歩いてゆく。パッと目の前が開けた瞬間、浜名湖の雄大な広がりを臨み、手前には人工だけど可愛らしいビーチ。まわりは緑に囲まれて、白いテーブルとチェアが心地よさそうに置かれている。私は思わずパンプスを脱いで、素足をビーチに這わせた。思いのほか冷たい水を足先に感じて、背筋がピンと伸びる。なんだか頭のてっぺんまで、水が満ちてくるような気がした。
再びマスタングへ乗り込み、さらに先へとV8を奏でた時に、目に入ったのは「長坂養蜂場」の看板と、絵本に出て来るようなホンワカしたお家だった。走り出したばかりなのに、ついつい吸い込まれてしまう私。天然のハチミツをはじめ、ジャムやジュース、パンなど蜂蜜製品がディスプレイされて、中庭では本物の蜂さんたちがせっせと蜜を運んでいる。癒しとスタミナを求める私が手を伸ばしたのは、女王蜂御用達、ローヤルゼリーをたっぷりと含んだドリンクだ。もう、手にしただけでキレイになった気がするから、女って現金な生き物。
さて、時間はすっかりお昼をまわって、さすがに空腹感がつのってきた。ランチは絶対に鰻と決めている。お目当ての「うな丼」までは、浜名湖をあと半周しなくては。海に近い弁天島に、そのお店「山本亭」はある。お座敷に陣取り、まずは生シラスと海老の唐揚げ、ノンアルコールビールでホッとひと息ついた。そして香ばしい薫りを漂わせて、メインのうな丼が登場だ。ひと口含み、噛むごとにジュワッと旨味が広がってくる。本当に美味しいものに出会うと、人はどんな言葉もそれを表現できないと気づく。
山本亭を出ると、高かった太陽は西に傾きはじめていた。マスタングに座ると、朝よりももっと、張りのあるレザーシートが身体に馴染んでいるのがわかる。心が、ふっくらと膨らみを取り戻したせいだろうか。国道1号をめがけて走る道々、いくつかの旅籠屋が昔の風情のまま残っていた。水色のジョウロを手に、マスタングを見て微笑むご主人。私は思わず、玄関先にお邪魔した。
「どこのクルマだい、こりゃ」とご主人。「アメリカの、フォードですよ」と私。「へぇぇ。これからどこ行くの」
クルマを走らせると、世界がちがうものたちが交差する、ステキな瞬間に出会える。私がドライブを愛するのは、その瞬間のトキメキがあるから、かもしれない。マスタングとなら、そのトキメキはもっと大きく、もっとたくさんやってくる。そんな余韻に心地良さを覚えながら、私はまた、明日へと走ってゆく。
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